シマ

先日、あるお上人が、本堂の“新築工事”を始めるとのことで・・・

「本堂内の“什器・仏具”は、レンタル倉庫に。。。」なんて話を、伺ってまして。

 

・・・で、私何気なく質問したんです。

「本堂建設中は、“法事”とかどうするんスか?」と。

 

そしたら、「へっ?」って。

私も「へっ?」と、顔を見合わせてしまった訳ですが。

 

(私と同年代の)そのお上人は、本堂で“年回忌法事”を行った経験が、無いそうな。
【年回忌法事:お亡くなりになってから〇年の節目に行う法事のこと】

法事と言えば、会場は檀家さんの“ご自宅”で。

たとえ、お寺の境内に“墓地”があろうとも。

 

いや、ビックリしましたね。

 

周りのお上人たちにも、伺うと・・・

「うちも、ほとんどが“自宅法事”だよ」とか。

「うちは、“8割”自宅で、“2割”寺だな」とか。

 

車で30分ほどの距離なんですが、こんなにも風習が違うんですね。

ちなみに、師匠のお寺「浄国寺」では・・・

少なくともここ10年間、法事の会場は“100%”お寺。

 

うちは、というと・・・

「“8割”寺の、“2割”自宅」といったところでしょうか。

それも、その“2割”は間違いなく、お寺(境内)に墓地が無い方。

 

さて。

少々、地元(千葉県香取市)の話に、お付き合いください。

 

「千葉県/茨城県の、“県境”は?」と、問われた場合・・・

多くの方が、“利根川”をイメージされるのではないでしょうか。

 

あながち間違いでもないのですが、厳密にはご覧の通り。

katorishi

この利根川を“超越”した地域は、通称「シマ」と呼ばれています。

正式には“十六島”といい、その名の通り“16”の地域で構成されています。

 

16に分けられたのは、江戸時代の“新田開拓”によるものなのですが・・・

enma

ご覧のように、「エンマ」と呼ばれる“水路”を船で移動することが、当時の“交通手段”であり・・・

これを利用した、“農業・漁業”を中心に、生活がなされていた訳です。

enma2

昭和39~53年の整備事業により、「エンマ」はすべて、埋め立てられます。

「シマ」が、区画化された“水田地域”へと生まれ変わったことは・・・

DSC_0701

この“カーナビ画面”からも、お分かりの事と思います。

 

当時は、お寺(墓参り)へ来るのも“一苦労”だったでしょうね。

ですから、「シマ」にはそれぞれに独自の“部落墓地”を所有します。
(地域の方の呼称にて、記述します)

 

当然、自宅付近にお墓がある訳で。

「シマ」の法事は、現在でもそのほとんどが、“自宅法事”。

つまり、うちの“2割”の内訳ということです。

 

うちからこの地域まで、車でグルッと利根川を渡って、“約20分”。

直線距離は、“1キロ”ちょいなんですけどね(^^;)

 

・・・船でも、買うか。