お宝

久々の更新となってしまいました。。。

 

色々ありまして、遙か昔のことに感じますが・・・

秋の“お彼岸”も、無事に過ごすことが出来ました。

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(法務としては)多古町「能満寺」さまの、“彼岸会”に出仕させていただき。

 

また、“お中日”には・・・

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目黒区「妙見寺」さまの“彼岸会”にも、出仕させていただき・・・

大勢の檀信徒の皆さまとともに、“読経・唱題”を。

 

うち(宗勝寺)自体は、特に何もやっていない・・・

・・・なんて言ってしまうと、語弊がありますが。

 

やはりお彼岸中、ということだけあって・・・

“お墓参り”の方を中心に、境内は賑わいを見せてくれます。

 

お彼岸には、多くの檀信徒の方々が、お寺に“お供え”くださる。

お中元でもなく、お歳暮でもなし。

お正月でもなく、お盆でもなし。

 

なぜ“お彼岸”に、なのかというと・・・

それが、昔からの“慣習”というほか、ないのでしょうが。

 

もちろん、“御宝前”にお供えはいたしますが・・・

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今般、このような“掲示用レール”を設置してみました。

 

レントゲンを医師が確認するような、固定方法。

これで、粘着テープを多用せずに済みます。

 

注文して届いたは良いものの、切った貼ったする羽目になったのは、ご愛敬。

「畳1畳=1間(けん)」と決めつけず、メジャーで測るべきでした。。。

 

さて。

 

“清く正しく”なんて自分で書いたことが、自分の首を絞めることに・・・

・・・なった訳では、ありませんが。

 

(雨模様だからか)人出が無かったお彼岸後半戦も、ゴロゴロする訳にいかず・・・

この際、10年間見て見ぬ振りをしてきた、“開かずの納戸”の掃除に着手。

 

昔の“書類入れ”は、気の利いたデザインしてますね。。。

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これ、お分かりですか??

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いわゆる“煙草(タバコ)盆”、なぜか4セット一箱。

(使用方法は、ググってください。。。)

 

まぁ実際、うちにはこれといった「お宝」は、ございませんでした。

納戸の一番奥底に、ホコリをかぶっていたのは・・・

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檀家さん(お婆ちゃん)お手製の、“味噌”。

 

「このまま涼しいところにしばらく置いておけば、食べられるから!」

・・・と、いただいた際の記憶が一気に甦り、冷や汗を。

(11年前のことです。。。)

 

恐る恐る、開封すると・・・

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香りは、“芳醇”そのもの。

昔ながらの発酵食品は腐らないそうで、一安心。

 

この、時間でしか得ることが出来ない“熟成”というものが、「お宝」なのでした。

・・・と、綺麗にまとめてみる。

 

おしまい。

天の花

本日(9月20日)より、秋の「お彼岸」が始まりました。

 

言わずと知れた、「お彼岸」とはいえ。

「お彼岸って、何??」と、問われれば・・・

言葉に詰まる方も、少なくないのではないでしょうか。

 

「お彼岸」とは、仏道修行の“特別強化週間”のこと。

“悟り”の境地に至る(=仏教徒の最終目標)ために・・・

「六波羅蜜(ろくはらみつ)」なる、6種類の修行法が説かれています。

 

①「布施(ふせ)」 分け与えること

②「持戒(じかい)」 戒律(ルール)を守ること

③「忍辱(にんにく)」 耐え忍ぶこと

④「精進(しょうじん)」 最善を尽くすこと

⑤「禅定(ぜんじょう)」 心を集中・安定させること

⑥「智慧(ちえ)」 真実の認識力を得ること

 

「お彼岸」の7日間には、一般的に・・・

この「六波羅蜜」を、ひとつずつ実践せよ、と。

 

さらに、中日である“秋分の日”は、日本国の法律(国民の祝日に関する法律)でも・・・

「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」と、定められています。

 

“特別強化週間”なんて、書き方をしたのは・・・

「六波羅蜜」は、あくまでも常に実践し続けなければならないものだから。

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先日、空き墓地区画の草刈り中、ふと思い立ち・・・

あえて、“彼岸花”を刈らずに残してみました。

 

その思惑(?)通り、お参りの方からは・・・

「お彼岸にキチンと咲くんだから、不思議だねぇ。。。」なんて声が、チラホラ。

 

“彼岸花”といえば、目にするのは・・・

概ね、堤防とか(田んぼの)あぜ道や、お墓ってところでしょうか。

 

実は、前述の場所は、自生ではなく・・・

過去に植えられた可能性が高い、と言われています。

 

“彼岸花”は、その球根に“毒性(球根ひとつに、ネズミ1500匹の致死量)”を持つため・・・

堤防・あぜ道は、“モグラ除け”として。

(穴を掘られると、強度が落ちるため)

 

お墓は、“ご遺体”をお守りするため。

これはもちろん、“土葬”の時代の話ですが。

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彼岸花の別名を、“曼珠沙華(まんじゅしゃげ)”なんて、呼びますが・・・

お経(妙法蓮華経 序品第一)にも、この花が登場します。

 

お釈迦さまが法華経をお説きになる前の、“瑞相(めでたいしるし)”として・・・

“曼珠沙華”が、(お釈迦さまや人々の上に)天から雨(ふ)った、と。

 

ただこれは、あくまで「天の花(実在しない、ということ)」。

経典上の“曼珠沙華”は、柔らかく白い花で・・・

見る者を悪業から離れさせる、と言われています。

 

皆さまも、この「天の花」を眺めながら、上記「六波羅蜜」の実践にて・・・

“清く正しい”一週間を、お過ごしになってはいかがでしょうか。

大人のフィールド

私事ですが、先日家族で行楽に出かけ・・・

少々時間も過ぎたため、夕食をとって帰ることにしました。

 

よくよく考えれば、日が暮れてからの外食は、ここ一年以上のご無沙汰。

当然、1歳の息子は、“初外食”ということになった訳です。

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(画像は、文章とは関係ございません。。。)

 

経験して、初めて実感させていただきましたが・・・

子どもが入れる“レストラン”って、本当に少ないんですね。

 

中には、「どうぞ」と言われたものの、ボーイさんの表情は、すべてを物語り・・・

我々は、入店10秒で失礼させていただくこととしました。

(「ご配慮、ありがとうございます。。。」と、仰っておりましたが)

 

数店を巡り、歓迎とお気遣いのもと、食事を終えられた時には・・・

安堵と感激の中、夫婦で固く誓い、反省するのでした。

 

「しばらくは、控えよう。。。」と。

 

・・・この話は、飲食店を“批判”している訳ではありません。

白黒つけるなら、悪いのは我々ですから。

 

つまり、レストランってのは、「大人のフィールド」ってことですよね。

どんな業界でも、100人に100人の“満足”を与えるのは、難しいですし。

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お寺を「大人のフィールド」と考える方も、いらっしゃるのではないでしょうか。

個人的には、お寺と“疎遠”な方ほど、そういった方が多いように感じます。

 

例えば、“年回忌法要”のために、お寺に来たものの・・・

母親は、法要に参列せずに控室でお子さんと“待機”、みたいな。

 

以前、ある檀家さんが、こんなことを仰いました。

「うちのバカ息子は、“墓参り”もしない。。。」と。

 

果たして、息子さんは“バカ”なのでしょうか。

 

「子は親の背中を見て育つ」と、言われるように。

親御さんが、小さいころから“墓参り”を共にしていたなら・・・

よほどのことが無い限り、今も続けていたのではないでしょうか。

 

確かに、小さいお子さんが“年回忌法要”に参列したところで・・・

何が何だか、さっぱり分からないかもしれない。

 

でも、寺に来て“何か”をやったことは、きっと感じるものがあるでしょうし。

それを“当然”とする人は、いつか自分がその立場となった時には・・・

「誰か」のために、“当然”それをするでしょうし。

 

堂内で走り回ったり、什器を破損させるのは、子どものせいではありません。

それを止めさせなかった、“保護者”の責任です。

 

「騒いだら、申し訳ない。。。」ということでしょうか??

子どもが騒ぐのは、仕方ないこと。

 

・・・大丈夫。

子どもに負けじと、声張りますんで。。。

屈伸

先日は、埼玉県にて開催された“日蓮宗青年会”の会議に出席したり・・・

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消防署にて、年イチの“普通救命講習”を、受講したり・・・

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また、“会議”があったり・・・

“研修会・講演会”に、参加したり。

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来る事業に向けて、あんな“打ち合わせ”や・・・

こんな、“打ち合わせ”も。

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・・・その他、掲載する気が起きないようなことも、諸々。。。

 

よく言われるような言葉でいえば、「ジャンプ前の、屈伸」とか・・・

「我慢の時」ってやつですかね。

 

とにかく、私・・・

“地味”に、生きております。

 

さて。

 

どうでも良い話ですが、“我慢”という言葉は、古来・・・

現在のような意味合い(耐え忍ぶ、とか。。。)では、使用されていませんでした。

 

元々は、仏教用語である・・・

「四慢(4つの自惚れ)」の、ひとつ。

 

①邪慢(じゃまん) : 間違ったことをしても、正しいと言い張ること

②増上慢 (ぞうじょうまん): 自分の価値を高く見て、おごり高ぶること

③卑下慢 (ひげまん): 謙虚さを強調することで、自分を良く見せること

 

そして、④我慢とは、「“我”がものの“慢”心」と書きますから・・・

自分を偉いと思い、他人を軽視するということ。

 

・・・先日拝聴した、講演会でのこと。

 

登壇された講師の方は、ご自身の紹介において、進行役が・・・

「先生」という呼称を用いることが無きよう、打ち合わせしたそうな。

 

そういえば、我々(僧侶)のことを「先生」と呼ぶ方も、中にはいらっしゃいます。

(特に、葬儀社の方を中心とした、関係業者に多い気がします。。。)

 

講師曰く、「“先生”と呼ばれると、自分が偉くなったように勘違いする」と。

「講演料を頂戴する限り、聴講者は“お客様”だ」と、いうことで。

 

・・・それはともかく、私が「先生」と呼ばれた時の、あの何とも言えない違和感。

だって、彼(彼女)に対して、私は何かを教授する訳でもないし。

 

我々の業界、皆さまの前に出る時は・・・

ある意味、“華やか(?)”な部分があるのかもしれません。

 

でも、それはごく一部の事で。

(どこの業界でも同じだと思いますが)ほぼ毎日が、「屈伸」で。

 

どれだけジャンプ出来るか、分かりませんが。。。

 

心を映す鏡

毎月1日(午後2時~)は、「題目講(だいもくこう)」という行事を行っています。

 

平たく言えば、“お経・お題目(南無妙法蓮華経)”を、お唱えする会。

初心者でも、すぐに上達します・・・いや、させます。

 

「読経 → 住職の法話 → 茶話会」

・・・という流れで、開催中。

 

ぶっちゃけた話、私が住職になって12年目にして・・・

今が最も雰囲気よく、“和気あいあい”としているかもしれません。

(以前が決して、ギスギスしていた訳ではありませんが。。。)

 

会費等、一切のご負担もございませんので・・・

参加をご希望される方は、お気軽にご連絡ください。

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本日の「題目講」終了後、参加のある檀家さんは・・・

「今日は、お祖師さま(日蓮聖人像)の顔が、笑って見えた。。。」と。

 

よく言われる言葉ですが、“仏像(の顔)”は、(自分の)「心を映す鏡」だ、と。

きっと、穏やかで美しい心持ちをなさっていたのに違いない。

 

さて。

 

そういった現象を、「見る者の感受性」と片付けてしまう人は・・・

実に、面白みのない人間です。

 

そんな方には、それなりの見方として・・・

納得していただけるような、話をします。

 

そう、ここからは・・・

「ドライな話」です。。。

no-men

一級品の“能面”は、顔の左右が“非対称”につくられているそうです。

もちろん、そうと言われなければ判らない程度に。

 

それは“能楽師”の舞を、より一層引き立てるものなのでしょうし・・・

“能面”自体の神秘性も、きっと増すのでしょう。

 

そして、それは恐らく“仏像”にも言えることで・・・

多くの仏像は、参拝者が「下から見上げる」ように、製作されます。

 

「参拝者 = お客さま」とする、現代の寺院の多くは・・・

参拝者が膝をつかずとも、“参拝・焼香”出来るよう、整えられています。

 

うち(宗勝寺)も、そのようなスタイルをとらせていただいておりますが・・・

本来のご尊顔として、拝してみるのも良いのではないでしょうか。

 

ちなみに。

 

よくいただくご質問として、上記画像からも分かるように・・・

「怒った顔した、仏像がいるけど。。。」と。

 

“憤怒相(ふんぬそう)”なんて、言いまして・・・

それぞれに、それぞれの“怒る理由”があり、一概には言えませんが。

 

「夜遊びして帰ってきた高校生を、家で迎える“母親”の顔」

・・・と、思っていただければ。

 

つまり、怒ってはいても、憎んではいないんですよ。

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本日の「題目講」に合わせ、遊びにいらしてくれたのは・・・

檀家さんの、“娘さん & お孫さん”。

(うちの息子と、ひと月違い)

 

これには、皆さん等しく“恵比寿顔”でした。。。