煤払い

先日、多古町「能満寺」さまにて、「星祭り」に出仕させていただきました。

DSC_0822

私たちは、“性別・年齢”によって“星回り”というものが決められます。

 

一生の間には、必ず良い時期と悪い時期があり・・・

これを、いわゆる「“星回り”が良い/悪い」と、いう訳です。

 

“星回り”が良い方は、より良い年であるように・・・

また、悪い方は無事であるようにご祈祷させていただくのが、「星祭り」という行事です。

 

この「星祭り」が開催されるのは、“冬至”のこと。

毎年ながら、これが終わりますと・・・

いよいよ、本格的な“大掃除 & 正月準備”に取り掛かる訳です。

1
上記画像は、江戸時代の「煤払い(すすはらい)」の様子。

 

現代の住宅には、“竈(かまど)・囲炉裏(いろり)”も無いでしょうし・・・

“薪・炭・ロウソク”も使わないでしょうから、そもそも“煤”なんか出ませんよね。

 

・・・もちろんそれは、屁理屈であって。

「煤払い」が現代の“大掃除”だということは、皆さんご承知の通り。

 

「煤払い」は、“12月13日”に行うのが習わし。

この日に江戸城で「煤払い」していたことが由来だそうですが・・・

今でも“お寺・神社”では、この日に「煤払い」するのをニュースでも、目にします。

 

「煤払い」も“大掃除”も、考え方は同じ。

生活上、必要に迫られてするような行為ではなく・・・

新年を迎えるに当たっての、いわゆる“お清めの儀式”ですよね。

 

お正月には、皆さまのお宅に、“神さま”がお出でになる。

そのための準備(飾り付け)をするには、まず家中をきれいにしないといけない。

逆に言えば、きれいでないお宅には、“神さま”がいらっしゃらない、ということ。

 

・・・“外回り”に関しては、今年もコイツが大活躍。

DSC_0814
実内に関しては、今年は“寺務所”から手を付けました。

くつろぎ・・・もとい、“打ち合わせスペース”もご覧の通り。
(ビフォーアフターやる余裕は、ございませんでした。。。)

DSC_0834

・・・「物を探す」という行為は、何の“付加価値”も生みません。

 

一般的な人間は、「物を探す」ことに、“年間150時間”を費やすそうな。

これ、一日8時間労働の人にすれば、“約19日分”のこと。

 

つまり、経営者は社員に対し・・・

一か月分の給料を、その“ムダな行為”に支払っているという訳です。

 

そんなことから、私・・・

普段から“整理整頓”には、人一倍気を付けているつもりだったんですが。

 

それでも、(ゴミが)出るわ出るわ。

DSC_0833

おかげで、少しはきれいになったでしょうか。。。

鈴と鰐口

・・・・・・前回のつづきです。

 

お賽銭を投げる前に、「ジャラジャラ」ってやりますよね。

1

単純に、「鈴(すず)」といいます。

 

宗勝寺の「鬼子母神堂」には、「鈴」ではなく・・・

DSC_0813

こちらは、「鰐口(わにぐち)」といいます。

 

まぁ、「どっちがどっち」という明確な決まりは、実際ございませんが・・・

「鈴」があるのは、概ね“神社”。

「鰐口」があるのは、概ね“お寺”。

 

・・・では、“何のため”のものか、と言えば。

 

まず、「神仏への“参拝合図”」として。

“インターホン”的扱いですね。

 

また、「神仏へ、音色を“供養(お供え)”するもの」として。

いわゆる“鳴り物”の仏具には、こういった意味合いのものが多数ございます。

 

さらに、その音自体に「魔障を祓う」という意味もありますが・・・

いずれにせよ、「鈴」も「鰐口」も、その“意味合い”としては同じ。

 

さて。

 

前回のブログを、ご覧いただいて・・・

「結局、“賽銭・浄財”はいくら入れたら良いんだよ。。。」って方。

 

それが、この「鈴と鰐口」に示されているのです。

 

一説によれば、「鈴」は“男”を表し・・・

「鰐口」は、“女”を表していると言われています。

 

上記画像を見て、「ピン」と来た方は、それが・・・

「男性/女性」を象徴とするような、“体の一部分”を指すということが、お分かりかと思います。

 

そして、色で言えば・・・

「男」は、“白”。

「女」は、“赤”。

2

これも、勘の鋭い方は、“生殖機能の象徴色”と言えば、お分かりかと。

 

以上を、踏まえますと・・・

「神社 - 鈴 - 男 - 白」

「寺 - 鰐口 - 女 - 赤」

 

ここからは、うまく説明できませんが・・・

同じ“属性”というか、そういったニュアンスのものの方が、より“良い”と。

 

結論を言えば。

 

「“神社”にお参りの際には、“白いお金”」を。

“白いお金”っていうのは・・・

「1円硬貨・50円硬貨・100円硬貨・500円硬貨・千円札」のこと。

 

「“お寺”にお参りの際には、“赤いお金”」を。

“赤いお金”っていうのは・・・

「5円硬貨・10円硬貨・5千円札・1万円札」のこと。

 

上記、「覚えられねぇよ」って方は・・・

「お寺には、一万円」と、覚えてください(-。-)y-゜゜゜

賽銭

同じ物事を行うにしても、何も考えずに漠然とした“慣習”だけで、それを行うのか。

それとも、“理解”を深めた上で行うのか。

 

あなたは、どちらを選びますか?

 

・・・もうすぐ、今年も終わってしまいますね。

新しい年を迎えれば、多くの皆さまが、“初詣”にお出かけになることでしょう。

 

「あ、初詣の“作法”について書くんだろ。。。」

・・・と思った方は、残念でした。

 

今回は、「お賽銭(さいせん)」の話です。

DSC_0812

ある調査によれば、「賽銭(初詣)」の全国平均額は、“414円”だそうな。

これを、多いと見るか、少ないと見るか。

 

「どうしても叶えたいお願いがあるから、お賽銭を“奮発”して。。。」

「ご縁がありますように、“5円”を。。。」

「“15円”で、十分ご縁が。。。」

・・・はい、どれも“間違い”です。

 

お賽銭の「賽」という字には、「むくいまつる」という意味があります。

つまり、神仏から福を受けたことに対し、感謝してお祭りすること。

また、「お礼参り」という意味もあります。

 

ですから、「賽銭」は「願いを叶えてもらうため」のものではなく・・・

「願いが叶った(叶う過程に至った)事に対する、“お礼”」なのです。

 

まず、これだけは理解していただきたいのですが・・・

「お願い/お礼」

・・・これは、“セット”です。

 

「お賽銭=お礼」によって、今までの願い事を“チャラ(?)”にしてから・・・

次の“お願い”をする、という順序が大切な訳です。

 

別の言い方をすれば。

頼んだことに“お礼”も言わず、重ねて次の“お願い”をするようなヤツは・・・

絶対に、願い事なんか叶いません。

 

さて。

 

上記画像は、宗勝寺の“賽銭箱”です。

いや、厳密に言えば“賽銭箱”ではありません。

 

「奉納」と書いてあるのが、お分かりでしょうか。

「浄財」と書いてあるものがあれば、同じ意味です。

 

ここに入れるのは、「賽銭」ではなく「布施(ふせ)」です。

「布施」とは、財物などを施すことで功徳を積むという、仏教における“修行”のこと。

 

また、“お金”というものは、良くも悪くも・・・

「人それぞれの“感情”が入りやすい」と、言われています。

 

自分の“境遇”が、「良くない」と感じる方は・・・

(ある意味)“厄払い”のつもりで、入れるのも良いでしょう。

 

それに乗せられた“(いわゆる)厄”は、当然その“お寺”に行く訳ですが・・・

ご存知の通り、お寺では毎日の“勤行(読経)”が、行われます。

 

つまり、それで“浄化”されるということ。

「浄財」の“浄”という字には、そんな意味もあるのです。

 

全国の、“賽銭泥棒”さん。

あなたが盗ってるのは、“厄”がたっぷり乗ったお金かもしれませんよ。

 

・・・・・・つづく

折り合い

本日は、“丸一日”お寺にいることができた・・・

貴重な、貴重な、貴重な一日でした。

 

お寺にお嫁に来た女性が感じる、想像と現実の“ギャップ”として・・・

「(住職が)まさか、こんなに家を空けるとは」

・・・というのは、定番中の定番。
(寺から寺へ嫁いだ方を除く)

 

だからこそ、寺にいられる時にしかできないことが、山積みになるもので・・・

そんな、いわゆる“雑務”に追われた一日でもありました。

 

この時季の雑務の、“代表格”と言えば・・・

DSC_0803

そう、“年賀状”作製ですね。

 

・・・元々、年頭には“祝賀”を交換する風習が、古来からありました。

“年賀”として目上の方のお宅を回り、ご挨拶申し上げる。

 

その際、年賀を受ける側も、いらっしゃった方をもてなす訳です。

お酒や肴、お雑煮なんかを用意して。

 

しかしながら、年賀に行くことが叶わない方は・・・

(やむを得ず)年賀の挨拶を、“手紙”にして送る。

これが、現在の習慣で言うところの、“年賀状”ということです。

 

・・・皆さんは、“年賀状”出してますか?

 

近年は、「“メール”で、一斉送信」って方も少なくないでしょうし・・・

中には、「“SNS”に投稿するから、見てね」って方も、いらっしゃるでしょう。

 

まぁ、どこで「折り合い」を付けるか、ですよね。

 

「えっ、その件聞いて無ぇぞ」って、上司が言った時・・・

「あれ、メール打ったんスけど。。。」

・・・って、(いわゆる)今の若いモンは、平気で仰るそうですが。

 

現代の日本からしたら、“デジタル処理”の情報伝達は「アウト」ですからね。

そういった意味からも、私個人としては“時期尚早”かと思ってしまいます。

 

「“テンプレート”そのままじゃ、面白くない」

「“手書き”のコメントが無いと、心が込もっていない」

「“家族写真”は、幸せの押し売りだ」

 

・・・なんて言葉を“web”上で目にして、私が怯(ひる)んだのも、事実。

また、正月早々“センス”を問われているようでプレッシャーなのも、事実。

 

何だかんだ書きましたが、私は頂戴したら、単純にうれしいですけどね。

“年賀状”だけの付き合いって方も、貴重な繋がりだと思います。

 

あ、「これから、書くよ」って方に、ひとつ。

 

“賀詞”にも、色々ありますが・・・

「寿(めでたいですね)」

「賀正(正月を祝います)・迎春(新たな年を迎えました)」

・・・というように、“一文字/二文字”のものは、“同等 or 目下”の者へ。

 

“目上”の方に、対しては。

「謹賀新年(謹んで新年のお祝いを申し上げます)」のように、“四文字”か・・・

「新春のお慶びを申し上げます」

・・・のように、“文章”の賀詞を使いましょう。

三日坊主

「男子三日会わざれば、刮目(かつもく)して見よ」

 

人は、“3日間”も鍛錬すれば、見違えるほどに成長するので・・・

“刮目(目をこすること)”して、しっかり見てみなさい、ということ。

 

腕っぷしがありながらも、知性・教養がなかった武将「呂蒙(りょもう)」が、学問を励んで成長し・・・

それに驚いた相手(魯粛)に、返した言葉だそうな。
(出典:三国志演義)

1

先日、修行僧への「面会」のため、“日蓮宗大荒行堂”へ行ってまいりました。

 

“3日間”どころか、約40日ぶりに、皆さまにお会いしましたが・・・

一目見て、「良いご修行をなさってる」と分かるほどの、お姿でした。

 

特に、初行(初めての入行)のお上人は、やはり良い表情をなさってましたね。
(本人不在につき、サラッと書きますが。。。)

携えていた“お坊ちゃん臭さ”が、(良い意味で)すっかり取れてて。

 

“冬本番”は、まだこれからですからね。

入行僧皆さまの、無事のご成満をお祈り申し上げます。

 

さて。

 

“3日間”ときて、“寺”のブログって言ったら・・・

やっぱり、「三日坊主」を連想する方も、多いのではないでしょうか。

 

僧侶の修行は厳しいもので、衝動的に頭を丸めて坊主を志した人では・・・

3日で根を上げて、還俗(げんぞく:一般人に戻ること)してしまうのが常である。

 

・・・というところから、きている訳ですが。

 

いや、“続ける”ことって、本当に難しいですよね。

もし続けられたのなら、“継続は力なり”の言葉通りになるのでしょうが。

 

人間には、「新しい変化に抵抗し、いつも通りを維持する」というものが、“本能”として備わっているんだそうです。

人間にとっては、「変化=脅威」で、「いつも通り=安全・安心」なんだとか。

 

「〇〇できなきゃ、死ぬ」ってところまで行けば、誰もが“継続・成功”する訳で。

「三日坊主」は、ドライな言い方をすれば、“精神面の弱さ”に他ならないのかもしれません。

 

・・・生まれた場所のせいにする訳では、ありませんが。

“千葉県民”は、そんな人間が多いんだそうな。

 

暑くも無ければ、寒くも無い。

海も近くて、田畑は豊富。

 

食うに困らないから、“ハングリー精神”に欠け・・・

“危機管理能力”にも乏しく、他県でも頑張り切れないから、“大物”も出ない。

 

ま、そういう人間がいなかったら・・・

この世の中、“ギスギス”しますもんね。

 

緩~く、いきましょう。

・・・後回し、後回し(-。-)y-゜゜゜

唱題行脚

“最近のことシリーズ”、最後を飾りますのは・・・

12月2日に開催されました、歳末助け合い「唱題行脚(しょうだいあんぎゃ)」です。

DSC_0789

“日蓮宗千葉県東部宗務所”主催にて、毎年開催される行事。

 

「唱題行脚」とは、画像のように“うちわ太鼓”を叩きながら・・・42 行脚

お題目「南無妙法蓮華経」をお唱えし、街頭を歩くご修行のこと。

 

この日は、匝瑳市「顕妙寺」さまを、出発。

道中、市内の「円充寺」さまや・・・

DSC_0787

「金蓮寺」さまにお参りしながら、山道を上り下りすること“2時間半”。

DSC_0788

檀信徒の皆さんの参加もあり、総勢100名近い方が、これに参加されました。

DSC_0786

・・・で、「何で、こんなことやってんの?」って話ですが。

 

色々な意味があると思いますが、私が一番思うのは・・・

お題目(南無妙法蓮華経)との“ご縁”を、結んでいただくため」かと。

 

こうして、行列を組んで太鼓を叩いて、となれば・・・

それはもう、“目立つ”訳ですね。

 

それに対し、知識と理解をもって、手を合わせてくださる方もいらっしゃる。

また、「何だろう?」と、不思議そうに見ている方もいらっしゃる。

“見て見ぬ振り”をする方も、いらっしゃる訳です。

 

私たちや、そういった方たち、すべてひっくるめて・・・

お題目との“ご縁”を、結ぶことができた訳です。

 

仮に、私たちの行動を妨害したりした方がいらっしゃったとしても、同じこと。

それだけ、お題目は“尊い”ということなのです。

58 朝勤の様子

・・・嫌な世の中に、なりまして。

 

“朝勤(ちょうごん:毎朝お経をあげること)”に対し、近隣住民から・・・

「うるせぇから、やめろ」と“苦情”がある、なんて話を聞いたことがあります。

 

(数百年も)昔から、同じ場所で同じことしてる訳で。

「(勝手に)近隣に住んできて、何を・・・」と、私は思いますが・・・

「地域の和融を考えて、朝勤開始時間を遅らせた」なんて話も、耳にします。

 

うち(宗勝寺)も、周りはすべて“住宅地”なんですよね。

そのほとんどが、“檀家さん”のお宅ではありませんが・・・

“苦情”が来たことは、一度もございません。

 

ただ。

 

ご近所さんから、「毎日同じ時刻に始まるから、いつも凄いねぇ。。。」

・・・って、私を同じ時刻に起こすのは、“電波時計”な訳で(-_-;)

 

「今朝、お勤め始まるの遅かったべー!会社に遅れそうになっちったよぉ。。。」

・・・って、やっぱり朝勤を“目覚まし時計”代わりにしていたヤツも(-_-;)

 

そんな訳で、現在は・・・

朝勤開始時間を、(敢えて)毎日少しずつ“ずらす”ようにしています。

 

それは、私が“プレッシャー”から逃れるためではなく・・・

人に頼らない、ライフスタイルの推進。

・・・つまり、私の“優しさ”だと、思ってください(-。-)y-゜゜゜

最近のこと

昨日のつづき・・・のようなものです。

「最近のこと」シリーズと、いう訳で。

 

これまた、師匠のお寺「浄国寺」のことになりますが。

去る11月29日、師匠が所属する“バンド”による・・・

DSC_0781

第8回「Live in 浄国寺」が、開催されました。

→こちらから動画もご覧いただけます

 

“師匠と弟子”ではなく、“親子”の立場からいわせていただければ・・・

「この情熱を〇〇に注いだなら、もっと〇〇だったろうに」と。

 

でも、それを言おうもんなら、そっくりそのまま“熨斗”を付けて返されて・・・

・・・男ってのは、そんなもんです(-_-;)

 

この日お越しになったのは、約60名(の、暇人)。

席が足りずに増設したのは、嬉しい誤算でした。

 

“第8回”のライブということは(年イチですから)当然ながら、8年続いているということで。

“おやじバンド”とは名ばかり、全員孫のいる“お爺さんバンド”なんですね。

 

もちろん、私自身には“孫の可愛さ”は解りませんが・・・

DSC_0768

耳を“グイッグイ”やられても、“ニッコニコ”している様子から、相当可愛いのでしょう。

 

・・・この時季に、なりますと。

DSC_0783

境内は一面、イチョウの葉っぱ。

 

これを見て、「綺麗~♪」なんて言うのは、あくまで一般の方で。

我々の業界では、「こりゃ(掃除が)大変だ」と言うのが、正解。

 

でも、そろそろ散り終える時季ですね。

そうなれば、こっちのもん。

寒さ厳しくなれば“生花”も長持ちするし、ありがたい限りです。

 

さて。

 

お寺には、思いもかけないようなご依頼が、舞い込むこともありまして。

それをお受けするか否かは、それぞれ(僧侶)の考え方によっても、異なると思います。

 

私の場合、そのご依頼を受けたことによって・・・

依頼者なり第三者が、不幸になる可能性が無いと判断したなら、お受けします。

 

まぁ、概ねお受けします。

・・・たまに、お受けします。

 

もちろん、依頼されるということ自体、“ご縁”ですし・・・

人と人との“ご縁”が無ければ、そもそも依頼なんかされませんからね。

 

こんな、仰々しい“前置き”をするほどの話でもないのですが、今回のご依頼は・・・

「ハワイ在住のアメリカ人が、“Japanese 掛軸(毛筆)”を欲しがってるから、書いて」

・・・というもの。

 

色々考えたんですが、「やっぱ、俺は坊主だからな。。。」っつーことで・・・

DSC_0782

現在、“表装中”とのこと。

 

「端っこに、赤い“スタンプ”押してあるんだろ」とか、そんな知識はお持ちのアメリカ人だそうで。

一応、書いてあることの“意味”はご説明申し上げましたが・・・

どれだけうまく、“通訳”していただけるのでしょうか(^^;)

 

そんな、「最近のこと」でした。

・・・・・・あと一回、続きます。

団参

「お坊さんって、普段何やってんの?」

・・・なんて質問を、たびたび頂戴します。

 

「何やってるの、って・・・俺、何やってんだろ。。。」

・・・というのが、正直なところですが(-_-;)

 

とりあえず、最近のことを書きます。

 

まず、結構前(11月26日)のことになってしまいましたが・・・

DSC_0772

師匠のお寺「浄国寺」に、「団参(だんさん)」がございました。

「団参」とは、“団体参拝”の略。

 

いわゆる旅行会社“ツアー”の、パンフレットを見ますと・・・

「〇〇寺参拝」なんて、書いてある企画がありますよね。

 

実態って、そのお寺にとりあえず行くだけですよね。

まぁ、良くて本堂前で(個人的に)賽銭でも投げて、手ぇ合わすくらい。

 

「それで良い」って人も、いるんでしょうが・・・
(どうしても行きたくて、行ってる人ばかりじゃないでしょうから)

私から言わせたら、「もったいない」の一言。

 

(お寺に申し込んで)神仏にお目にかかり、読経の中で合掌・焼香させていただくことで・・・

・・・と説明するより、やはり“体感”していただいた方が、話が早い。

 

お寺の“縁起(歴史)や法話・諸堂案内”をしてくれる場合も多々ございますので。

本当の意味での“参拝”をしていただくのが、おススメです。

 

しかしながら、“初心者”には敷居が高いと感じるかもしれません。

何しろ、勝手が分かりませんからね。

 

そんな方は、お寺が企画するような「団参」に申し込むのが、手っ取り早いですよ。

ちなみに、うち(宗勝寺)の場合、隔年で「団参」の計画をしています。

 

今回いらっしゃったのは、「多摩青桐法華和讃の会」ご一行さま。

都内のお寺が主体となって、結成された会だそうで。

 

参拝後は、「佐原の古い町並み探索(観光)」に、お出かけになるのが“通例”。

sawara

「浄国寺」は、一般寺院。

(本山のような)“歴史・文化財・見どころ”が何もない訳です。

 

それでも時折、こうした「団参」にお越しいただくことは、有り難く、また恐縮でもあります。

地元に、助けられているのかもしれませんね。

 

「うちで一番古いのが“山門”でございまして。次に古いのが、うちの“女房”です。。。」

・・・という、住職の鉄板ネタも、“通例”となっております(-_-;)

 

あ、「団参」だけで、書き切ってしまいました。

書きたいことはありますが、中々書く時間が取れません。

 

・・・また、近いうちに。

大難が小難

私事ですが、昨日“交通事故”に遭いました。

また現在、軽度ではあるものの、両ひざを“打撲”しております。

 

・・・それは、あるお寺さんからの、帰り道の事でした。

自坊までは、約30分の道のり。

その途中には、中央線の無い“農道”がありまして。

 

夕方とはいえ、この季節ですから、あたりは“真っ暗”。

本当に“真っ暗”なんですよ、街灯も無い田舎道は。

 

大型車同士なら、“徐行”してすれ違うほどの、細い道。

向こうから迫ってきたのは、大型の“コンクリートミキサー車”でした。

km
(画像は、事故とは無関係です)

それがまた、良い感じの“センターオーバー”で、こちらにいらっしゃる。

 

「危ねぇなぁ、でもすれ違うときは、端に寄るだろ。。。」

・・・という私の思いもむなしく、って訳です。

 

今から思えば私も、“ホーン”で警告すれば良かったな、と。

しかし私は、ギリッギリに端に寄って避けることに、“全神経”を集中してしまったのです。

 

「避けたっ♪」と思った、その瞬間。

「バコーン!」と音がし、私の“ミラー”と、相手のボディが接触。

DSC_077

相手の方は、年配の男性。

開口一番、「すいませんでした。。。」と。

 

すれ違い様の事故は、“お互い様”とは言え・・・

ご自身で、思い当たるようなことがあったのかもしれません。

 

その後、お互いの車の状態を、確認し・・・

すぐ近くの会社だということで、上司の方も合流。

広い場所に移動し、警察の到着を待つことになりました。

 

上司の方からも、誠実なお詫びの言葉を、頂戴いたしましたが・・・

私もふと気になり、伺ってみました。

「あのー、そちらのクルマ、保険とかで直します?」と。

 

「いや、うちのは“作業車”なんで、あれくらいは直さないです」

「あ、私のも“作業車”ですし、直しませんから」

「えっ!いや、そういう訳にはいかないです!」

「大したキズじゃないですし、そもそもこのクルマ、キズだらけですから」

 

・・・ちなみにその時、私が運転していたのは、(境内整備用)トラック。


「後日、改めてご挨拶を / いや、大丈夫ですから」的なのを繰り返し・・・

結局、お互いの“名刺交換”を、させていただくことに。

・・・で、会社名を見まして、ピンときました。

 

「お宅のお婆ちゃんって、〇〇な方ですか?」

「え?そうです!実は私、親戚で」

「いつも〇〇寺さんで、お目にかかるから」

「あ、ご住職さんだったんですね。。。」

「えぇ、今も〇〇寺さんからの帰り道で」

「そうでしたか、私あそこの檀家で、お世話になってて」

 

・・・なんて、絶妙な“盛り上がり”を見せ、帰路につくのでした(^^;)

 

あ、何で両ひざ、“打撲”したのかって?

 

事故直後、他の交通の邪魔にならないように・・・

路肩ギリギリに、“路上駐車”した訳ですが。

 

実はこのトラック、いわゆる“逆輸入車”ってやつで。

“左ハンドル&農道”だったため、降車した着地点が・・・

・・・農業用水路(-_-;)

 

あの“テレビ番組”見て、もう笑えません。

suiraku

いや、マジで焦りましたよ。

あると思った地面が、無いという恐怖。

 

あー、笑い話で済んで、本当に良かった。

「大難が小難」だ、こりゃ。

 

皆さまも、お気を付け下さい。

南無

・・・・・・昨日のつづきです。

 

「日蓮宗っちゅーと、ナムミョーホーレンゲキョーだべ?」

「うちは、ナムアミダブツだから」

・・・なんて会話が、日本仏教の“宗派”というものを、良く表していると思います。

 

この会話の“ポイント”は、「ナム = 南無」という共通項にあります。

これは、(インドの古い言葉)サンスクリット語の「ナマス(namas)・ナーモ(namo)の“音写”。

 

“音写(おんしゃ)”とは、翻訳に際しその発音自体に文字を当てはめたもの。

ですから、“南 / 無”という文字自体に、意味はございません。

 

「南無」とは、「(命がけで)信じます・敬います」という意味。

それぞれの“宗派”が、何を大切に考えているかが・・・

「南無」以下の言葉で、一目瞭然となる訳です。

 

ですから、「南無阿弥陀仏」と言えば、「“阿弥陀仏”という仏さまを、信じ敬います」と。

我が日蓮宗は、“妙法蓮華経”の教えを、「南無」している訳です。

 

“妙法蓮華経”というお経は、「仏さまの真実かつ最高の教えだ」ということで・・・

「諸経の王」と呼ばれ、また“世界シェアNo.1”のお経でもあります。

 

“妙法蓮華経”の一字一句には、お釈迦さまの悟りの功徳が具わっており・・・

「南無妙法蓮華経」とお唱えすれば、自然にその功徳をいただける、と考えられています。

 

・・・私たちは普段、都合の良いことばかり、行います。

ある時は右へ、また左へ。

崇めたり、けなしたり、無視したり。

 

そんなことで、自分自身の“着地点”は、定まるのでしょうか?

また、これを読んで、初めて「南無」という言葉の意味を知った方が・・・

そういったことを考える、良い“きっかけ”となれば、と思います。

 

先日(11月23日)は、匝瑳市「常福寺」さまにて・・・

御会式(おえしき)”に、出仕させていただきました。

DSC_0762

これをもって、今年の“御会式”出仕も、一段落(^^;)

 

・・・終了後、珍しいものを拝見させていただきました。

DSC_0763

この“曼荼羅(まんだら)”、「南無」の文字が・・・

DSC_0764

・・・何だと思います?

 

実はこれ、“カタツムリ”を模しているんだそうです。

snail

(カタツムリのように)ゆっくりと、地道に“修行”すれば・・・

確かな“功徳”を積むことができる、という意味なんだそうな。

1 22 23 24 25 26