イモ兄ちゃん

大変ありがたいことに、更新が“活動”に追いつきません。

順次更新して参りますので、ご容赦ください。

 

先日(9月27日)、八千代市「長妙寺」さまにて・・・IMG_0963

「痔の呪(まじな)い」なる行事に、出仕させていただきました。

 

長妙寺(第29世)日康上人が、法華経三千部を読誦し・・・

この“呪(まじな)い”によって、病気平癒のご祈祷を為されたことに由来する、この行事。

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朝から夕方まで、計8座にわたり、数百名の方がご祈祷を受けました。

 

やはり、恥部の病ということもあって、心身ともに苦悩される方々も多く・・・

全国各地より、申込者が訪れます。

 

ちなみに、昨年はテレビの取材もございまして・・・

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私も(手の)出演が、あったり。。。

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ご祈祷をした“苻”は、その年の恵方(良い方角)に、埋められ・・・

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その後、ご住職により、一年を通じてご祈願が続けられるそうです。

 

・・・この行事が行われるのは、(毎年)旧暦“八月十五夜”。

(最初に“呪(まじな)い”が行われた日、だそうです。。。)

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いわゆる、「中秋の名月」ですね。

 

旧暦では、3か月ごとに“四季”が移ろう、という考えのため・・・

「秋=7月・8月・9月」と、なり。

 

その真ん中である“8月”の、さらに“15日”ということは・・・

“秋のど真ん中”ということで、「中秋」という訳ですが。

 

日本人の感覚(?)としては、上記画像の通り・・・

お月見には、“ススキ・月見団子”といったところ。

 

しかし、お月見の発祥である“中国”の地では・・・

収穫祭の意味も込め、“里芋”をお供えすることが多いんだとか。

 

そのため、美しき「中秋の名月」の別名は・・・

何とも野暮ったい、「芋名月」。

 

調べるに、「イモ=田舎者=野暮ったい」という感覚は・・・

薩摩藩士を小馬鹿にした、“芋侍”という言葉からだそうで。

 

・・・ということは。

「イモ兄ちゃん」の芋は、“サツマイモ”だったんですね。。。

 

かくいう我が千葉県も、“サツマイモ”の産地。

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先日も、箱いっぱいの“サツマイモ”を、頂戴しまして・・・

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本日(毎月一日開催)の、“題目講”の終了後・・・

茶話会にて、消費していただきました。

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女性は、こういうの本当好きですね。

 

俺ぁ、何だか・・・

口ん中、パサパサしちゃって。。。

きっかけ

先日(11月19日)、日テレ「ザ!世界仰天ニュース」にて・・・

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八千代市「長妙寺」さまの年中行事、「痔の呪い(まじない)」が、特集されました。

 

私もこれに、出仕させていただきましたため・・・

密かに“ドキドキ”しながら、テレビを見ておりました。

 

すると、右端に“チラッ”と・・・

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どアップ!・・・なのは、手だけでした(-_-;)

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また、遠くに映りこんでみたり・・・

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ご祈祷シーンは、“ワイプ”がカブって(^^;)

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丸々一日がかりで“ロケ”してましたが、当日の放送は僅か10分間。
(スタッフの方は、大変ですね。。。)

やはり、バラエティ番組特有の“編集”が、気にはなりましたが。

 

さて。

 

お坊さんの仕事は、“布教”である。

・・・と、以前述べさせていただいた訳ですが。

 

“布教”と聞いて、皆さまはどう感じられますか?

中には、“嫌悪感”を抱く方や、“押しつけがましい・怖い”と感じる方もいらっしゃるかもしれません。

 

“布教”という言葉を辞書で調べると・・・

「ある宗教を一般に広めること」と、あります。

 

あくまで、それは“公開”して行うべきうことで・・・

“一対一”や“複数対一”で行うことは、してはいけない。

 

そういうことをする人間が、存在するからこそ・・・

“布教”は、押しつけがましく、怖く、嫌なものになってしまうのです。

 

また、「布教=教えを説くこと」だけでなく。

見せたり体感させることで、その方が本質である何かを感じてくれれば・・・

それこそまさに、“布教”なのです。

 

・・・お経の中に、「難解難入(なんげなんにゅう)」という言葉が、ございます。

仏さまの教え(智慧)は、入ることも信じることも難しい、と。

 

皆んなが同じ“ゴール”に向かっているはずなのに、“コース”が違う。

そもそも、その“コース”の“スタート地点”に立たせるだけでも、大変で。

 

だからこそ、まずは来てもらってナンボ、見てもらってナンボ。

そのため、近年お寺は、皆さまに色々な角度から“アプローチ”をします。

 

でも、アプローチで終わっちゃうヤツとか、勘違いしちゃうヤツも、出てきたりして。

「こういうことこそが、お寺に求められてることですよ」とか。

「お寺が行う“公益事業”ってのは、こういうことですよ」とか。

 

“本末転倒”とまでは、言いませんが・・・

「そうじゃ無ぇだろ」とか、「もったいねぇな」と、思う訳です。

 

・・・総じて、“テレビ・web・広告”なんてのは。

見たいヤツだけ見れば良いものですし、「きっかけ」としては、最高かもしれません。

 

ただ、そこにすべての“本質”が表れてる訳じゃないし、皆んなそれを分かってる。

視聴者も、それほどバカじゃありませんから。

 

お坊さんの仕事は“布教”だ、なんて言って・・・

我々の業界は、とにかく“広告・宣伝”が、下手くそ。

 

・・・あー、頑張ろ(-_-;)