南無

・・・・・・昨日のつづきです。

 

「日蓮宗っちゅーと、ナムミョーホーレンゲキョーだべ?」

「うちは、ナムアミダブツだから」

・・・なんて会話が、日本仏教の“宗派”というものを、良く表していると思います。

 

この会話の“ポイント”は、「ナム = 南無」という共通項にあります。

これは、(インドの古い言葉)サンスクリット語の「ナマス(namas)・ナーモ(namo)の“音写”。

 

“音写(おんしゃ)”とは、翻訳に際しその発音自体に文字を当てはめたもの。

ですから、“南 / 無”という文字自体に、意味はございません。

 

「南無」とは、「(命がけで)信じます・敬います」という意味。

それぞれの“宗派”が、何を大切に考えているかが・・・

「南無」以下の言葉で、一目瞭然となる訳です。

 

ですから、「南無阿弥陀仏」と言えば、「“阿弥陀仏”という仏さまを、信じ敬います」と。

我が日蓮宗は、“妙法蓮華経”の教えを、「南無」している訳です。

 

“妙法蓮華経”というお経は、「仏さまの真実かつ最高の教えだ」ということで・・・

「諸経の王」と呼ばれ、また“世界シェアNo.1”のお経でもあります。

 

“妙法蓮華経”の一字一句には、お釈迦さまの悟りの功徳が具わっており・・・

「南無妙法蓮華経」とお唱えすれば、自然にその功徳をいただける、と考えられています。

 

・・・私たちは普段、都合の良いことばかり、行います。

ある時は右へ、また左へ。

崇めたり、けなしたり、無視したり。

 

そんなことで、自分自身の“着地点”は、定まるのでしょうか?

また、これを読んで、初めて「南無」という言葉の意味を知った方が・・・

そういったことを考える、良い“きっかけ”となれば、と思います。

 

先日(11月23日)は、匝瑳市「常福寺」さまにて・・・

御会式(おえしき)”に、出仕させていただきました。

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これをもって、今年の“御会式”出仕も、一段落(^^;)

 

・・・終了後、珍しいものを拝見させていただきました。

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この“曼荼羅(まんだら)”、「南無」の文字が・・・

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・・・何だと思います?

 

実はこれ、“カタツムリ”を模しているんだそうです。

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(カタツムリのように)ゆっくりと、地道に“修行”すれば・・・

確かな“功徳”を積むことができる、という意味なんだそうな。

宗派

「あなたのご宗旨は?」

・・・と聞かれた際、「無宗教だ」と答えた人の割合は、“約57%”だそうな。

 

これは、今年(2014年)の統計で、世界“第4位”の比率。

共産党政権下の中国ですら、「無宗教」の比率は“約52%”だというから・・・

もう、驚くしかありません。

 

いや、それより実際は・・・

「シューシって、何だよ?」って方も、多いんじゃないでしょうか。

何ていうか、そういう話題に「ピンとこない」ってやつ(-_-;)

72 家族で仏壇に手を合わせている様子

・・・皆さまご存知のように、日本の仏教には「宗派」というものがあります。

まず、成立(伝来)順に・・・

「法相宗・華厳宗・律宗・天台宗・真言宗・ 融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗・時宗・黄檗宗」

・・・の、“13宗派”。

 

これらは、“伝統仏教”と呼ばれるもの。

“教義・歴史・伝統”の三拍子揃った「宗派」ですから・・・

いわゆる、「間違いねぇ」ってやつ。

 

ただこれは、“戦前”の話。

「(認可制の)宗教団体法 → (届出制の)宗教法人法」と時代が進むにつれ、分派が加速し・・・

現在の「宗派」は、“約160”まで肥大しております。

 

・・・じゃ、「そもそも、宗派って何よ?」と。

「皆んな、仏教じゃねぇのかよ?」と。

 

確かに“仏教”とは、読んで字の如く「お釈迦さまの教え」のこと。

“教え”は、共通します。

 

その“教え”とは、言わずもがな“お経”のことですが・・・

その種類が、“8万4千”という、途方もない数なのです。

 

その中で、「私は、このお経がお釈迦さまの一番言いたかったことだと思うよ」って人と・・・

「いやいや、これが一番大事だよ」って人がいて。

 

その中で、それぞれをリーダー(師)とした、言ってみれば“派閥”のようなものが出来て。

つまりそれが、「宗派」な訳ですが。

 

そもそも、仏教自体「インド→中国→朝鮮→日本」と、伝来した経緯があり・・・

師弟関係の強い“儒教”の国、中国を経由したことも、大きな理由の一つだと言われています。

 

先日書いたのと、同じ。

“ゴール”は同じでも、そこに至るまでの“プロセス”が異なる、と。

もちろん、各々が“最短距離”を進んでいる自負はある、ということ。

 

・・・・・・つづく。