折り合い
本日は、“丸一日”お寺にいることができた・・・
貴重な、貴重な、貴重な一日でした。
お寺にお嫁に来た女性が感じる、想像と現実の“ギャップ”として・・・
「(住職が)まさか、こんなに家を空けるとは」
・・・というのは、定番中の定番。
(寺から寺へ嫁いだ方を除く)
だからこそ、寺にいられる時にしかできないことが、山積みになるもので・・・
そんな、いわゆる“雑務”に追われた一日でもありました。
この時季の雑務の、“代表格”と言えば・・・
そう、“年賀状”作製ですね。
・・・元々、年頭には“祝賀”を交換する風習が、古来からありました。
“年賀”として目上の方のお宅を回り、ご挨拶申し上げる。
その際、年賀を受ける側も、いらっしゃった方をもてなす訳です。
お酒や肴、お雑煮なんかを用意して。
しかしながら、年賀に行くことが叶わない方は・・・
(やむを得ず)年賀の挨拶を、“手紙”にして送る。
これが、現在の習慣で言うところの、“年賀状”ということです。
・・・皆さんは、“年賀状”出してますか?
近年は、「“メール”で、一斉送信」って方も少なくないでしょうし・・・
中には、「“SNS”に投稿するから、見てね」って方も、いらっしゃるでしょう。
まぁ、どこで「折り合い」を付けるか、ですよね。
「えっ、その件聞いて無ぇぞ」って、上司が言った時・・・
「あれ、メール打ったんスけど。。。」
・・・って、(いわゆる)今の若いモンは、平気で仰るそうですが。
現代の日本からしたら、“デジタル処理”の情報伝達は「アウト」ですからね。
そういった意味からも、私個人としては“時期尚早”かと思ってしまいます。
「“テンプレート”そのままじゃ、面白くない」
「“手書き”のコメントが無いと、心が込もっていない」
「“家族写真”は、幸せの押し売りだ」
・・・なんて言葉を“web”上で目にして、私が怯(ひる)んだのも、事実。
また、正月早々“センス”を問われているようでプレッシャーなのも、事実。
何だかんだ書きましたが、私は頂戴したら、単純にうれしいですけどね。
“年賀状”だけの付き合いって方も、貴重な繋がりだと思います。
あ、「これから、書くよ」って方に、ひとつ。
“賀詞”にも、色々ありますが・・・
「寿(めでたいですね)」
「賀正(正月を祝います)・迎春(新たな年を迎えました)」
・・・というように、“一文字/二文字”のものは、“同等 or 目下”の者へ。
“目上”の方に、対しては。
「謹賀新年(謹んで新年のお祝いを申し上げます)」のように、“四文字”か・・・
「新春のお慶びを申し上げます」
・・・のように、“文章”の賀詞を使いましょう。