心を映す鏡
毎月1日(午後2時~)は、「題目講(だいもくこう)」という行事を行っています。
平たく言えば、“お経・お題目(南無妙法蓮華経)”を、お唱えする会。
初心者でも、すぐに上達します・・・いや、させます。
「読経 → 住職の法話 → 茶話会」
・・・という流れで、開催中。
ぶっちゃけた話、私が住職になって12年目にして・・・
今が最も雰囲気よく、“和気あいあい”としているかもしれません。
(以前が決して、ギスギスしていた訳ではありませんが。。。)
会費等、一切のご負担もございませんので・・・
参加をご希望される方は、お気軽にご連絡ください。
本日の「題目講」終了後、参加のある檀家さんは・・・
「今日は、お祖師さま(日蓮聖人像)の顔が、笑って見えた。。。」と。
よく言われる言葉ですが、“仏像(の顔)”は、(自分の)「心を映す鏡」だ、と。
きっと、穏やかで美しい心持ちをなさっていたのに違いない。
さて。
そういった現象を、「見る者の感受性」と片付けてしまう人は・・・
実に、面白みのない人間です。
そんな方には、それなりの見方として・・・
納得していただけるような、話をします。
そう、ここからは・・・
「ドライな話」です。。。
一級品の“能面”は、顔の左右が“非対称”につくられているそうです。
もちろん、そうと言われなければ判らない程度に。
それは“能楽師”の舞を、より一層引き立てるものなのでしょうし・・・
“能面”自体の神秘性も、きっと増すのでしょう。
そして、それは恐らく“仏像”にも言えることで・・・
多くの仏像は、参拝者が「下から見上げる」ように、製作されます。
「参拝者 = お客さま」とする、現代の寺院の多くは・・・
参拝者が膝をつかずとも、“参拝・焼香”出来るよう、整えられています。
うち(宗勝寺)も、そのようなスタイルをとらせていただいておりますが・・・
本来のご尊顔として、拝してみるのも良いのではないでしょうか。
ちなみに。
よくいただくご質問として、上記画像からも分かるように・・・
「怒った顔した、仏像がいるけど。。。」と。
“憤怒相(ふんぬそう)”なんて、言いまして・・・
それぞれに、それぞれの“怒る理由”があり、一概には言えませんが。
「夜遊びして帰ってきた高校生を、家で迎える“母親”の顔」
・・・と、思っていただければ。
つまり、怒ってはいても、憎んではいないんですよ。
本日の「題目講」に合わせ、遊びにいらしてくれたのは・・・
檀家さんの、“娘さん & お孫さん”。
(うちの息子と、ひと月違い)
これには、皆さん等しく“恵比寿顔”でした。。。