御会式
昨日(10月13日)、宗勝寺役員・題目講各位とともに・・・
「御会式(おえしき)」を、厳修いたしました。
御会式とは、日蓮大聖人のご命日に際し・・・
“報恩感謝”の誠を捧げる、法要のこと。
今年は、735回目の御会式ですから、正式名称としては・・・
「宗祖日蓮大聖人第七百三十五遠忌御報恩会式」と、いったところでしょうか。
大聖人御入滅の地である、“池上(東京都大田区)”では・・・
画像の通りの、大変な賑わいを見せます。
百数十の講中、総勢約三千人もの万灯練り行列が・・・
夜を徹し、池上の町を練り歩く訳です。
万灯に飾られているのは、“桜の花”。
・・・9月8日に身延を発った、日蓮大聖人。
10日間をかけ、池上の大工“宗仲・宗長(むねなか・むねなが)”兄弟の家に到着。
その時には、筆を持つ元気さえ無かった、といいます。
伝えるべきことを伝え、為すべきことを終え。
弟子信者とともに、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えながら・・・
10月13日午前8時、61歳の生涯を終えられました。
日昭上人の打つ、臨終を知らせる鐘の音が悲しく響き・・・
池上の山には、季節外れの“桜の花”が咲いたといいます。
宗勝寺でも、約10年前に植えた“御会式桜”が、開花。
年々、少しずつ花の数も増え、足を止める方も増えてきました。
・・・日蓮大聖人が生きたのは、鎌倉時代。
現代のように、言いたいことが言える時代ではなかった訳です。
その時代に、声を大にして法華経の教えを説こうとした大聖人。
浄土宗の教えで、世を治めていた幕府は、面白いはずもありません。
文永元(1264)年、小松原の地(現在の千葉県鴨川市)において・・・
日蓮大聖人は、(地頭の)“東条景信”らに襲撃を受けます。
命は取られずに済んだものの・・・
腕を折られ額に刀傷を負った、という凄惨な事件となりました。
日蓮大聖人が、額の刀傷から流れる血を小川や井戸の水で洗いながら・・・
岩高山の洞穴に、身を休めていた時のこと。
そこに通りかかった、老婆(おいち)が、
「傷口に風を当てると痛みますので、これで寒さをおしのぎ下さい」
自分のかぶっていた“真綿”を差上げた、との故事から・・・
現在に至るまで、「綿帽子(わたぼうし)」の慣習が伝えられている訳です。
この綿帽子、御会式(10月13日)を境に・・・
日蓮聖人像にお掛けするのが、一般的。
季節は、冬へと向かいます。。。