笑顔
「一月は行く」なんて、言われますが・・・
やはり、あっという間に2月になってしまいました。
1日には、今年最初の“題目講”を、無事に終え・・・
3日には、多古町「妙光寺」さまの“節分会”に、出仕させていただきました。
その文字が示す通り、「冬 / 春」の分かれ目を表す“節分”。
暦の上では、本日(2月4日)の“立春”をもって、新たな年が始まる訳で・・・
ある意味「節分 = 大晦日」とも、言えるのです。
「終わり良ければ、すべて良し」なんて、言いますが・・・
この節分に、旧年中の“災厄”を祓うことが、大切とも言えます。
“年男・年女”の皆さまに、ご祈祷させていただき・・・
境内に設置された舞台にて、“豆まき”が行われました。
それにしても、皆さんの楽しそうな顔。
(敢えて画像加工してませんので、不都合があればご連絡ください。。。)
さて。
“須佐之男命(すさのおのみこと)”は、姉の“天照大神(あまてらすおおみかみ)”に、幾度も嫌がらせをし・・・
その結果、天照大神の侍女の命を奪うことになります。
これを鑑み、(太陽の神である)天照大神は“岩戸”の中に引きこもり・・・
天地は、闇に包まれました。
困った神々は、天照大神を引っぱり出すため、岩戸の外でお祭り騒ぎを始め・・・
最終的には、好奇心にかられた天照大神は外に出ることとなり、世の中に光が戻った、と。
・・・これは、かの有名な“古事記”より、「天岩戸(あまのいわと)」の話。
(かなり掻い摘んでいるため、多少の語弊はあるかもしれませんが。。。)
天照大神は、なぜ岩戸から覗いてしまうほどに、気になったのでしょうか。
岩戸の外では、神々が様々な手段を講じる様子が、書かれていますが・・・
その引き金となったのは、「八百万(やおよろず)の神が、一斉に笑った」ことにあります。
人間も神さまも、「笑い声(笑顔)」には勝てません。
無条件に、引き寄せられてしまうんです。
私は、(仮に)現在勢いがあるもの(組織・団体・活動 etc.)でも・・・
そこに「笑顔」無きものなら、行く末は無いと思っています。
逆に言えば、「笑顔」があるものは、決して消滅しないと思いますし・・・
そんな場所こそ、人は集まるものだ、と。
もちろん、「笑顔」を出すべきではないような場であっても・・・
その後振り返ってみれば、その経験があってこそ「笑顔」になれる、ということもあるはずです。
やっぱり、楽しくなくちゃね。
楽しくないことの中で楽しさを見つける、という楽しさもありますしね。