きっかけ
先日(11月19日)、日テレ「ザ!世界仰天ニュース」にて・・・
八千代市「長妙寺」さまの年中行事、「痔の呪い(まじない)」が、特集されました。
私もこれに、出仕させていただきましたため・・・
密かに“ドキドキ”しながら、テレビを見ておりました。
すると、右端に“チラッ”と・・・
どアップ!・・・なのは、手だけでした(-_-;)
また、遠くに映りこんでみたり・・・
ご祈祷シーンは、“ワイプ”がカブって(^^;)
丸々一日がかりで“ロケ”してましたが、当日の放送は僅か10分間。
(スタッフの方は、大変ですね。。。)
やはり、バラエティ番組特有の“編集”が、気にはなりましたが。
さて。
お坊さんの仕事は、“布教”である。
・・・と、以前述べさせていただいた訳ですが。
“布教”と聞いて、皆さまはどう感じられますか?
中には、“嫌悪感”を抱く方や、“押しつけがましい・怖い”と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
“布教”という言葉を辞書で調べると・・・
「ある宗教を一般に広めること」と、あります。
あくまで、それは“公開”して行うべきうことで・・・
“一対一”や“複数対一”で行うことは、してはいけない。
そういうことをする人間が、存在するからこそ・・・
“布教”は、押しつけがましく、怖く、嫌なものになってしまうのです。
また、「布教=教えを説くこと」だけでなく。
見せたり体感させることで、その方が本質である何かを感じてくれれば・・・
それこそまさに、“布教”なのです。
・・・お経の中に、「難解難入(なんげなんにゅう)」という言葉が、ございます。
仏さまの教え(智慧)は、入ることも信じることも難しい、と。
皆んなが同じ“ゴール”に向かっているはずなのに、“コース”が違う。
そもそも、その“コース”の“スタート地点”に立たせるだけでも、大変で。
だからこそ、まずは来てもらってナンボ、見てもらってナンボ。
そのため、近年お寺は、皆さまに色々な角度から“アプローチ”をします。
でも、アプローチで終わっちゃうヤツとか、勘違いしちゃうヤツも、出てきたりして。
「こういうことこそが、お寺に求められてることですよ」とか。
「お寺が行う“公益事業”ってのは、こういうことですよ」とか。
“本末転倒”とまでは、言いませんが・・・
「そうじゃ無ぇだろ」とか、「もったいねぇな」と、思う訳です。
・・・総じて、“テレビ・web・広告”なんてのは。
見たいヤツだけ見れば良いものですし、「きっかけ」としては、最高かもしれません。
ただ、そこにすべての“本質”が表れてる訳じゃないし、皆んなそれを分かってる。
視聴者も、それほどバカじゃありませんから。
お坊さんの仕事は“布教”だ、なんて言って・・・
我々の業界は、とにかく“広告・宣伝”が、下手くそ。
・・・あー、頑張ろ(-_-;)