屈伸
先日は、埼玉県にて開催された“日蓮宗青年会”の会議に出席したり・・・
消防署にて、年イチの“普通救命講習”を、受講したり・・・
また、“会議”があったり・・・
“研修会・講演会”に、参加したり。
来る事業に向けて、あんな“打ち合わせ”や・・・
こんな、“打ち合わせ”も。
・・・その他、掲載する気が起きないようなことも、諸々。。。
よく言われるような言葉でいえば、「ジャンプ前の、屈伸」とか・・・
「我慢の時」ってやつですかね。
とにかく、私・・・
“地味”に、生きております。
さて。
どうでも良い話ですが、“我慢”という言葉は、古来・・・
現在のような意味合い(耐え忍ぶ、とか。。。)では、使用されていませんでした。
元々は、仏教用語である・・・
「四慢(4つの自惚れ)」の、ひとつ。
①邪慢(じゃまん) : 間違ったことをしても、正しいと言い張ること
②増上慢 (ぞうじょうまん): 自分の価値を高く見て、おごり高ぶること
③卑下慢 (ひげまん): 謙虚さを強調することで、自分を良く見せること
そして、④我慢とは、「“我”がものの“慢”心」と書きますから・・・
自分を偉いと思い、他人を軽視するということ。
・・・先日拝聴した、講演会でのこと。
登壇された講師の方は、ご自身の紹介において、進行役が・・・
「先生」という呼称を用いることが無きよう、打ち合わせしたそうな。
そういえば、我々(僧侶)のことを「先生」と呼ぶ方も、中にはいらっしゃいます。
(特に、葬儀社の方を中心とした、関係業者に多い気がします。。。)
講師曰く、「“先生”と呼ばれると、自分が偉くなったように勘違いする」と。
「講演料を頂戴する限り、聴講者は“お客様”だ」と、いうことで。
・・・それはともかく、私が「先生」と呼ばれた時の、あの何とも言えない違和感。
だって、彼(彼女)に対して、私は何かを教授する訳でもないし。
我々の業界、皆さまの前に出る時は・・・
ある意味、“華やか(?)”な部分があるのかもしれません。
でも、それはごく一部の事で。
(どこの業界でも同じだと思いますが)ほぼ毎日が、「屈伸」で。
どれだけジャンプ出来るか、分かりませんが。。。