歯車
本日(4月12日)、師匠のお寺「浄国寺」にて・・・
「千部会(せんぶえ)」が、厳修されました。
たくさんのお経を読み、その功徳を以て“祈願”や“供養”をする。
・・・というスタンスが、「千部会」の共通項ですが。
「浄国寺」の場合、“自我偈(じがげ:妙法蓮華経如来寿量品第十六の偈文)”を・・・
のべ“千回”読むことを、「一部(相当)読んだ」と、みなしています。
一年に一部、千年で千部。
“たった一回”を終えるために、千年がかりの行事。
このお寺の開山年からするに、未だ“折り返し地点”にも到達していないのです。
さて。
先日、うち(宗勝寺)に“固定資産税”の納付通知が、届きました。
これは、(僅かながら)“貸借地”分に対してのもの。
“境内地”等、宗教法人が本来の目的で使用する、土地に関して・・・
“非課税”だということは、皆さんもご承知の通り。
じゃ、「なぜ??」という話になるのは、当然の流れかと思いますが・・・
模範的解答(?)として、「公益性が、認められているため」ということになるかと、思います。
“公益性”とは、「不特定多数の人間の、利益になる」と言えば良いのでしょうか。
「お寺は、“公共施設”なんですか??」
・・・と聞かれると、(私には)難しい質問です。
確かに、誰もが(勝手に)山門をくぐり、お参りしても良い訳ですが・・・
お寺は、“宗教法人”というだけあって、立派な“法人格(会社)”ですからね。
その“法人”の、代表役員(社長)は、もちろん“住職”。
「じゃあ、お寺は住職のもの??」
・・・と聞かれれば、それは「NO」です。
本堂も、境内地も、墓地も、庫裡(住まい)も・・・
お寺の財産であって、住職個人の財産にはならないのです。
現在、宗勝寺の“境内地”は・・・
変貌を遂げようと、しております。
自分のものにもならないお寺を、なぜキレイにしようとするのでしょうか??
「“公益性”を保つために。。。」
・・・なんて言ってる坊さん、見たことありません。
「見栄を張りたい。。。」
・・・って言っても、自分のものになる訳じゃないし。
「跡継ぎのために。。。」
・・・って、息子が後継ぐかどうかなんて、分かりません。
「仏教(宗派・宗祖)の教えを、伝えるために。。。」
・・・って、それこそ関係無ぇし。
キレイになって、喜ぶ檀信徒さんは多いかもしれませんが・・・
万人から賞賛を受けるような事業なんて、ありませんからね。
きっと、この答えは・・・
前述、「千部会」の精神ではないでしょうか。
・・・私たちは、「歯車」なんですよ。
それも、できれば淀みなく回る「歯車」で、ありたいものです。