ついで
先日、青年会役員の皆さんが、うち(宗勝寺)にお集まりになった「ついで」に・・・
鬼子母神堂の仏具(二畳台)の運搬を、手伝っていただきました。
改修工事中から、倉庫に仕舞いっぱなしでして・・・
ひとりで持つのは不可能ですが、このために人を呼ぶには気まずい、ということで。
“横の繋がり”に、感謝ですね。
「ついで」というと、(どちらかといえば)良くない印象でしょうか。
他のちょっとしたことをするために、何かを“利用”する、的な。
「ついで」は漢字で、「序で」と書きます。
“序”という字には、「順序・次第を立てる」という意味がありますから・・・
本来の意味を持たせれば、「タイミングよく、チャンスを掴む」という、“前向き”な言葉とも捉えられます。
(個人的に)「ついで」というものは、常に意識すべきだと思っています。
ただひとつの“目的”だけで行動するのは、“もったいない”と。
例えがお粗末ですが、小さいことを言えば・・・
部屋の隅の“ゴミ箱”に、ただゴミを捨てに行かない。
“往路”で、何が出来るか。
“現地”で、何が出来るか。
“復路”で、何が出来るか。
・・・筍(タケノコ)の“旬”も、もう終わり。
最終段階として、素性の良いものは、“竹”にするために伸ばし・・・
細かったり曲がったり、密集してしまったものは、これを取り除きます。
先日も、“ノコギリ”で切り倒して廃棄、という作業をしておりますと・・・
小さな男の子たちが、うちに。
(3歳・5歳の兄弟だそうで、初対面です。。。)
「おうちの人は、ここにいること知ってんの??」という、私の問いに・・・
「知ってるよ!」と答えるも、こうなったからには目を離すわけにもいかず。
内心、「仕事になんねぇな。。。」と思いつつも、相手をしていましたが。
「オラァ、切ったやつ、ここに集めろー!」
・・・という訳で。
遊びに来た「ついで」、というやつですね。
しばらくして、ふたりを迎えに来た(たぶん)ひいお婆ちゃん。
「お世話になりました」との言葉に・・・
心の中で、「こちらこそ。。。」と、つぶやくのでした。
・・・この頃、やたらと“子ども(子連れ)”が、遊びに来ます。
うちの近所には、“公園”も“児童館”もありません。
私が子どもの頃は、小学校の“校庭”で遊ぶのが、定石でした。
学校に侵入し、刃物を振り回して暴れるような、“数名”のせいで・・・
校庭の門は、未だに固く閉ざされています。
“地域のコミュニティ”としての、お寺。
“防犯”との、バランス。
そんなことも、より考えていかなければならない時代なんです。